私流、ボクシング世界戦観戦の楽しみ方
こんばんは、院長の丸山誠二です。
今日は、久しぶりにワクワクする日になった。
ボクシングの 内藤大助VS亀田興毅 の試合があるからだ。
日本人同士の世界戦は今日で22試合目だそうだ。
その中でも1985年 渡辺二郎 対 勝間和雄、1994年 薬師寺保栄 対 辰吉丈一郎
の試合が特に印象に残っている。
1985年 渡辺二郎 対 勝間和雄の試合は確か私が大学3年生の時で、空手の練習が終わり、ほか弁を買い急いで家に帰ったのを憶えている。大阪帝拳の渡辺二郎は、徹底した科学的トレーニングを行い、当時はかなり高額だった酸素カプセルで練習の疲れを癒し、ベンツで帰宅する正に世界チャンピョンという生活。かたや挑戦者の日本チャンピョン勝間和雄は昼間はアルバイト、移動手段は自転車、ボクシングの世界は世界を取らないと生活できない厳しい世界なのだ。私は哀愁漂う勝間を応援していたが、結果は渡辺二郎の圧勝。実力が違いすぎた。
後は、有名な1994年 薬師寺保栄 対 辰吉丈一郎。恵まれない家庭に生まれ自力で這い上がって来た辰吉、マスコミの前ではビッグマウスであるが、あれはプロとしてのパフォーマンスであり、背中には哀愁を背負っていた彼の絶大なファンであった。結果は試合中、指の骨折のアクシデントに見舞われ敗北。
そして今日の 内藤大助 VS 亀田興毅。
日本人最年長防衛記録を塗り替えるかという35歳の内藤、弟の仇をうつべく亀田家の意地を背負って立ち上がった亀田興毅。
44歳のおっさんの私としては、内藤に夢を与えて欲しく、内藤を応援した。
私には私なりのボクシング観戦の楽しみ方がある。
それは応援する選手になりきることだ。
7時30分、そろそろ内藤になりきる。
テレビは7時58分から放映開始。
相手は23歳、弟の仇と意気込んでいる。
若いだけにスピードはある。試合前も挑戦者らしく行くと言っていたから、ガンガン前に出てくるだろう。
手ごわい相手だ。しかし、俺はこれだけ苦しい練習を積んできた。
キャリアもある。俺は世界チャンピョンだ。冷静にやれば必ず勝てる。
内藤になりきって居る所に、かみさんが部屋に入って来た。
私:「試合中は話かけないでな。」
かみさん:「い~じゃん、しゃべったって。」
私:「駄目だよ、俺はこの試合のために死ぬような苦しい練習、そして苦しい減量にも必死で耐えて来たんだぞ。」(内藤になりきっている私。)
かみさん;「は~!昨日忘年会で、さんざん飲み食いして来たくせに。それで内藤選手になりきるなんて内藤に申し訳ないよ。」
・・・・・・・確かに・・・・・今朝は二日酔いであったし、確かに申し訳ない。
かみさんの言うとおりだ。何も言い返せない私。
赤コーナー内藤大助選手の入場です!のコールに緊張が最高潮に達する。
冷静な内藤が珍しくリングの下で雄たけびを上げる。
テレビの前で私も雄たけびをあげる。
心拍数も上がってきた。
・・・・・・・・・・・
亀田は予想とは違い打ち込んでは来ない。
懐深く、ガードを固めカウンター狙いに徹している。
一発、二発と着実にピンポイントで顔面狙い。
回を追う毎に、内藤いや私の鼻は腫れ上がって来る。
おそらく鼻骨骨折であろう。
誰が見ても、亀田の圧勝であった。
亀田の作戦勝ちである。
しかし、世界チャンプ相手にこの作戦で行こうと決めたブレインは誰なのだろうか。
その参謀が一番の功労者であろう。
亀田は予想以上に成長していた。試合後はいつもの亀田節もなく、謙虚な姿勢には少し物足りなさを感じたが、幾多の苦難を乗り越え、技術的にも人間的にも大きく成長した亀田を見た。
しかし勝間、辰吉、内藤 と私が応援する選手は全部負けている。
さ~て、次は誰を応援しよ~かな!
(やめて~、応援しないで~という声が聞こえてきそうである。)