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2012年2月13日 (月)

第52回 富士宮駅伝

2月の第二日曜日と言えば、富士宮駅伝の日である。

大学の大先輩である桑原監督(先生)を慕う マラソン愛好家?や桑原監督愛好家? が全国から集う特別な日である。

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みんなが集い、みんなが走り、みんなで風呂に入り、みんなで酒を交わす。

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上り坂の人もいれば、下り坂の人もいる、また病み上がりの人もいれば、仕事が忙しく十分なトレーニングが出来なかった人もいる。

普段は、みんなそれぞれ違う環境、違う立場で生きている社会人である。

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それぞれの思いを持ち、集結する大人の集団である。

富士宮駅伝は、それなりにレベルの高い駅伝大会らしい。

昨年は1区を任され、最初は流して徐々にスピードをという作戦を立てていたが、いざ221人でスタートすると、いきなり最後尾になってしまった経験から、富士宮駅伝はなめると怪我をするぞ!ということが頭に入っている。

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今年も桑原歯科医院Aチームと桑原歯科医院Bチーム 6区間計12人が午前7時50分市役所近くに集まった。

12人中、戸塚先生は最年少で唯一の20代である。

次に若い人は、桑原歯科医院副院長の青木先生で41歳。

その次が私と勇さんの46歳。

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そんなおじさん集団が東京農業大学などが参加する駅伝大会に挑むのである。

それが面白いのだ。

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今年も東京農業大学の名物 大根踊り による応援があった。

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さて、桑原監督は,粋な計らいでBチームの1区に私を、Bチームの2区に戸塚先生を起用してくれた。

私の汗が染み込んだ襷を戸塚先生に渡す。

1区は高低差110mの上り5.4キロ、

2区は高低差90mの上り5.3キロである。

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いずれも、我々素人ランナーにとっては心臓破りの坂が続く面白いコースである。

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さて、さて、今朝は5時起床。

MSマイスターのトレーナーの指示を守る、真面目な私。

まず、30分程、湯船につかり痛む腰を十分に温める。

Tv .

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TVを付けると、左上に5時41分の時刻が。

温めたら十分に時間をかけストレッチをするようにとの指示を守る。

真面目か?とツッコミが入りそうである。

言われた通りのストレッチを50分程かけて行うと時間が6時30分になった。

携帯で戸塚先生に電話。

まだ寝ているようだったが、部屋に来てもらい、MSマイスターで教わった通りのテーピングを戸塚先生にしてもらう。

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続いて6個の貼るホッカイロを張る.Photo

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あとは、行の藤枝駅で戸塚先生の奥さんより、貰ったホッカイロをお守り代わりにポケットに入れ、ホッカイロの温かさと共に奥さんの心の温かさを感じる。

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十分に朝食を取り、午前7時50分、富士宮歯科医師会館駐車場にみんな集合。

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桑原監督から、Tシャツ、ゼッケン、ミネラルウォーターが配られる。

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221チームが午前10時、富士宮市役所前をスタート!

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昨年も1区を走ったので、コースは分かっている。

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今年の目標は、常に笑顔で、桑原歯科ファンの声援には満面の笑みで応え、そして昨年のタイム24分49秒を上回る24分30秒で、2区に戸塚先生に笑顔で襷を渡すことである。

苦しいが、苦しそうな素振りは一切見せず、結果を出す。

これが今年のテーマである。

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さて、昨年はスタートから最初の1キロ4分30秒がほぼ最後尾だったので、今年は4分25秒ペースで行こうかな、と思ってスタート位置に立つ。

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よ~~い、ド~~~~ン!!

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最後尾集団の中に紛れ込み、走る私。

500メートル走ったところで、時計を見るとなんと、4分8秒ペースである。

私にはかなりのオーバーペースである。

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しかし、何とかなるかとそのままのペースについていく。

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1キロ過ぎから、さすがに、みんなのペースも徐々に落ちて来てホッとする私。

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2キロ過ぎ、「桑原歯科医院ガンバッテ~~~!」

に満面な笑顔で手を振る私。

100点である。

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少し苦しくなってきた3キロ過ぎ、今度は「桑原せんせ~~~~!」という声援が・・・・。

私は桑原先生ではないが、なんとか笑顔で手を振る私。

70点というところか。

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4キロ当たり、自分でも苦しい顔になってきているのが分かる。

脈拍は183まで上がってきている。

180を超すと、なかなか笑顔にはなれない。

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そこで、また沿道からの声援が耳に飛び込む。

「桑原歯科がんばれ~~~~!」

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笑顔を作る余裕がなくなっている。

これはいかん。

頭をすこしペコリと下げ、手を上げるのが精一杯の私。

これはいかん、10点である。(反省・・・・)

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情けないの~~と自分に言い聞かせるが、延々と続く坂道しか見えない光景を目の当たりにすると、さすがに気持ちも萎えてくる。

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最終コーナーを曲がると、前方で、満面の笑みで両手を振って待っている戸塚先生の姿が見えた。

戸塚先生に、無様な姿は見せられない、最後の力を振り絞り、半笑顔でラストスパート。

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残念ながら、桑原歯科ファンの声援全てに満面の笑みで応えることは出来なかったが、目標タイムは達成できた。

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不思議と走っている時は、腰の痛みは全く感じなかった。

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結果はAチームは220チーム中172位?、Bチームもなんとか200位以内に食い込むことが出来た。

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これは快挙である。

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個人成績は私は区間165位。(昨年は171位だったので、OKである。)

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なんと戸塚先生は、さすが唯一の20代だけあり、139位という好成績を収めてくれた。

あっぱれ!である。

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ゴール後は、風呂に入り、汗を流し、2時30分から、大宴会を開催。

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次から次へとご馳走が運ばれて来る。

食って、飲んで、飲んで、また食って、また飲んで・・・・・・・。

おそらく私の普段の1週間分くらいの食事が胃袋に入っただろう。

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同じ戦友だから、これだけ盛り上がれるのだろうか。

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午後8時30分まで、6時間にも及び大宴会が続いた。

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酒が入り、人生の深い話も出てくる。

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馬鹿話あり、時々真面目な話もあり。

笑いあり、涙あり。

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いろんな話で、大いに盛り上がった。

仲間ってい~~~な、そ~感じさせてくれる桑原軍団。

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前泊のホテル代から宴会費用まで、全て桑原監督が持ってくれた。

それでいて、宴会でもみんなの先頭に立ち、場を盛り上げてくれる。

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いつもながら、大将の器の大きさを感じた。

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桑原先生は私の憧れる人間の一人である。

桑原先生、戸塚先生まで本当にお世話になりました。

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そして鈴木一先生、前日はご馳走様でした。