空手道部後輩からの手紙
九州歯科大学空手道部の1級後輩から、手紙が届いた。
懐かしい名前に、何だ何だと、封を開けた。
手紙と大学時代の稽古の写真が入っていた。
先日行われた、三瀬恒太郎を偲ぶ会で先輩から頂いたと言う写真であった。
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さて・・・・・・・・・・・・
昭和59年4月、私は、九州歯科大学に入学した。
その直後から、激しいクラブ勧誘攻撃を受けることになる。
興味のある複数のクラブに見学に行ったのだが、一度、見学に行くと、その晩は御馳走してくれ、翌日もアパートの部屋まで迎えに来てくれると言う歓迎ぶりであった。
約1ヵ月間は、ほぼ食費が要らなかった記憶がある。
さて、その中でも実に巧妙なテクニックを駆使した空手道部に入学することになった。
翌昭和60年4月、今度はクラブ勧誘をする側に回り、あの手この手を考え、新入生を必死で勧誘すること約1ヵ月、私が大学2年生の時である。
誰も入部しなければ、もう一年、最下級生として一切の雑用をしなければならないので、必死で勧誘したのを覚えている。
無事、4名の新入部員が入部した。
九州歯科大学空手道部39期生の入部である。
4名の内、1名が2年生の時に病気で亡くなった。
部員全員で、大阪にある彼の実家に行き、仏壇の前で彼のエピソードを語りながら軽い酒盛りをしたのを覚えている。
1名が途中で退部し、残り2人で空手部を盛り上げてくれた。
その中の1名も波瀾万丈の空手人生を歩むことになる。
詳細は、九州歯科大学空手道部の歴史、尊厳、伝統に関わる事なので、私なんぞの下人が語るべきではないので、ここでは割愛するが、本当に頑張った自慢の後輩であった。
まずは、身長が185センチ。
初対面の時、あまりの大きさに驚愕した。
私は164.8センチ。
あえて165センチをしない所を着目して欲しい。1㎜の重さを誰よりも分かっている身長帯である。165センチとか、大雑把に言うな!と怒りたい。でかい人間は185センチとか1センチ単位で表現するが、私の様な低身長な人間は、その大雑把さは許せない。1センチって10㎜だぞって言いたい。身長測定の時なんぞ、その前は散髪には行かない、当日は、最も硬いスパーハードジェルで髪の毛を固定し、1ミリいや2ミリ出来れば3㎜を稼ぐ努力は惜しまない。
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さて、本題に戻る・・・・・・
昨年、39期生の後輩、私の1級後輩、名は三瀬恒太郎。
高校時代は水泳部。
空手は初心者である。
私が2年生の時、彼は1年生。
私が3年生の時は、彼は2年生。
大学の帯は、大雑把で、白帯と黒帯しかない。
だいたい3年生で黒帯を取るので、この頃は、身長こそ20.2センチ低い私が、まだまだ彼を組手でも、思う様に操ることが出来た。
寸止め空手とは名ばかりで、中段(お腹)は突いても蹴ってもOKだし、上段も鼻血や口から血が出る程度は何の問題もない。
身長の高い人間を沈めるのは、実に気持ちが良かった。
特に蹴りが相手のミゾオチにジャストミートで入り、相手がストンと落ちた時は気分爽快であった。
そんな三瀬恒太郎と言う男。
黒帯を取得してから、メキメキと頭角を現し始めた。
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幹部の時、キャプテンに抜擢された彼は、全九州空手道選手権大会個人戦で九州歯科大学空手道部史上最高の準優勝という輝かしい成績を収めた。
全九州個人2位とは、想像を絶する成績である。
当時の九州地区の空手レベルの高さは、凄かった。
ヤバイ、本当にやばいレベルだった。
生命の危機を感じるレベルであったと言うのが適切であろうか。
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そんな彼は、卒業後も、歯科医師をしながら空手修行を続け、愛媛県の重量級個人戦で優勝し、愛媛県代表で国体出場まで果たした強者?いや、空手バカであった。
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そんな三瀬が昨年、海難事故でこの世を去る事になった。
先日、三瀬恒太郎を偲ぶ会を福岡で行ったが、スタッフの結婚式と重なり残念ながら出席は叶わなかったが、心からご冥福を祈りたい。
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さて、私は、1級先輩ながら、後輩である彼から色々な事を学んだ。
人生観が変わったと言っても過言ではない。
最初は、でかい奴は強くて当たり前と思っていたが、そうではなかった。
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彼は、努力、創意工夫力は勿論であるが、それより何より飛び抜けていたと私が思っている才能は、〝度胸” である。
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怖い怖い先輩が、ある出来事で激怒し、数人の後輩に向かって「腕折ったろか、アホ!」と本気で雷を落とすと、彼だけが、利き腕である右腕を差し出した。
傍観者であった私は、その光景を見て、息が止まりそうになった。
空手部は本当にやっちゃう?可能性のある部活であり、今まで、何度も目を疑う恐ろしい光景を見て来た私なら、迷わず「すみませんでした。押忍。」と大きな声で直立不動であやまったであろうが、彼は違った。
こいつ頭おかしいちゃう?と思った程だ。
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〝男は度胸” であろうか。
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試合では、どんなに格上を相手にしても、決して臆さず、いつも「勝ちます。」と言い放ち、8×8メートルの決闘の場に入って行った彼。
体もでかかったが、度胸もでかい人間であった。
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〝度胸”
私に一番足りないものかも知れない。
どんなに稽古しても、どんなに技を磨いても、どんなに筋肉をつけても・・・・・、取得するのに一番難しい能力である。
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・・・・・・・・・・一枚の手紙を読みながら、気持ちは、学生時代にトリップしていた。
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苦しくも、懐かしい学生時代に思いを馳せながら・・・・・・・・・・
彼を見習って、遅ればせながら、スケールがでかく度胸のある人間になることを誓い、彼に献杯!