あの世で20歳
親父は、あの世で20歳になった。
2月8日は親父の命日である。
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当時は栃木県の歯科医院で勤務医をしていた私。
確か土曜日だった気がする。
お袋から診療室に電話が入り、全身から血の気がなくなったのを覚えている。
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今診ている患者さんの治療を済ませ、急いで帰宅し、新幹線に乗った記憶はあるが、あまりの衝撃で所々の記憶が飛んでいる。
親父63歳、私30歳の2月8日の衝撃的な出来事であった。
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私の50年間で圧倒的に群を抜いて衝撃的な出来事だ。
それだけ、親父の存在は私にとって大きいものであったのかも知れない。
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今日の診療後にお袋に電話すると、墓参りに行ってくれた様だ。
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さて、院長室には二つの額縁が掛けてある。
左が日本空手協会五段の合格証書、右は私が高校3年の受験生になった時に親父が書いてくれた書である。
詩吟、民謡、英会話、書道、墨絵、尺八、話し方教室・・・・と多趣味の親父であった。
親父が書いてくれた書、私の宝物である。
「やせ蛙負けるな一茶これにあり」
自分では高校3年生、それなりに強い男のつもりでいたが、親父からすると、所詮私は、〝やせ蛙” だった様だ。
3人兄弟の末っ子で、一番出来の悪かった私なので心配だったのだろう。
その横にあるのは五段の証書。
一般論として、五段は師範を名乗って良い段位である。
その格式、段位の重さを分かっている当の本人である私は勿論の事、周りの関係者も皆、私の不合格を確信していた。
現実問題として、五段は難関である。
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し・か・し、昇段審査では、神が舞い降りて来た。
神様かどうかは分からないが、何かが誰かが乗り移った気がした。
形の審査の直前に練習をしていると、凄い先生が近づいて来てくれ個人指導をしてくれた。
技だけでなく、審査での心構えも指南してくれた。
この指南で、気持ちのスイッチが一気にONになった。
組手では、骨の1、2本は覚悟していたが、大きな怪我もなく自分の力は十分に発揮出来た。
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私の体に乗り移って加勢してくれたのは誰かは未だに分からないが・・・・・・。
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もしかしたら・・・・・・・・一茶かも?
平成21年2月8日に受験した昇段審査の出来事であった。