常識、非常識
1952年(昭和27年)スウェーデンのブローネマルク教授がウサギで骨髄の血液循環を調べる実験が終わって、骨に埋め込んだ金属製の生体顕微鏡を外そうとした所、その日に限って骨から外れなかった。
いつも使っていた金属がなく、チタン製の金属で代用していたために偶然、チタンと骨がくっつくことを発見したのだ。
当時の「科学の常識」では、金属と骨が結合する事は信じがたい事だった。。
その後、ブローネマルクは信頼できる科学者、技術者と共に13年間に及ぶ基礎研究、動物実験を行い、人工歯根(インプラント)システムを開発した。
そして、私の生まれた1965年(昭和40年) スウェーデン・イエテボリ大学で34歳の男性の顎にインプラント埋入した後、15年間の臨床研究を続け、 1981年(昭和56年)に「無歯顎患者の治療にオッセオインテグレイテッド・インプラントを用いた十五年間の研究」 という論文を学術雑誌に発表した。
当時、センセーショナルな論文に世界中の歯科医師を初めとした科学者が驚いたが、金属を顎に埋め込むと言う「非常識な」医療行為に、かなりの非難を受けたと聞いている。
その後、数十年という時の試練を無事、乗り越え、今や歯科界の「常識」となった。
あまりに簡単すぎる技術である、学位を取得して2年目の若き女性研究者の成果というなどの理由で、昨年春、世界的に権威ある英科学誌ネイチャーに投稿した際は、「過去何百年の生物細胞学の歴史を愚弄している。」と酷評され、突き返されたと言う STAP細胞発見の小保方晴子のニュースは日本中を駆け巡った。
ブローネマルクしかり、世紀の大発見は得てしてこんなものだろうか?
「常識」なんてものは実は「非常識」、「非常識」な事が、実は「常識」。
かと言って、私なんぞが、「非常識」な事をすると、それは実は本当に「非常識」な事だという結果になりそうだから、またややこしい。
あまり考え過ぎると、私の様な低脳な頭は混乱して来る。
先日、国会で小学校で「道徳教育」を正規科目にするかどうかの議論をやっていたが、「常識教育」も、また利点、欠点がありそうだ。
しかし、「常識」的な生き方が無難なのは言うまでもないが、それでは面白みに欠ける。