ラッシャー木村死去 ご冥福を祈る
こんばんは、院長の丸山誠二です。
診療中、川野先生より ラッシャー木村の訃報を聞いた。
青春の灯火が一つ消えた瞬間であった。
ラッシャー木村は高校卒業後、プロレスラーになるための基礎体力作りとして、大相撲に入門し、とんとん拍子で幕下上位まで昇進したが、十両に上がったら辞められなくなるという理由で憧れの日本プロレスに入団。その後東京プロレスを経て国際プロレスに移籍後、若手エースの座を掴んだが、経営難から国際プロレスが解散。解散後は、残党のアニマル浜口、寺西勇と共に「国際軍団」として新日本プロレスに参戦開始。当時新日本エースであったアントニオ猪木と屈辱の3対1のハンディキャップマッチをするなど一時期話題を集めたが国際軍団の人気は長くは続かず解散。前田日明らとUWFを創るが数ヶ月で離脱し全日本プロレスに移籍。全日本ではジャイアント馬場を「アニキ」と呼ぶマイクパフォーマンスで注目を集めたが、ことプロレスに関しては全く精彩が無く、馬場が亡くなってからノアの立ち上げメンバーに名を連ねた。しかし還暦を越えた年には勝てず引退表明。
これだけ職場を転々としたレスラーも少ないと思う。
生きるために金網デスマッチをしたり、額からの流血戦をしたり、マイクパフォーマンスをしたり必死に努力はしたが、何せ肝心のレスラーとしての実力がなかった。
しかし非常に人間味があり、哀愁があった。
私の青春の一ページにラッシャー木村の名前があるのは間違いない。
私にプロレスの話をさせるときりが無いのでこの辺で今日は終わりにしようと思う。
ラッシャー木村さん、心よりご冥福をお祈りいたします。