兄弟
今晩、次男が東京に帰った。
明後日、長男が東京に帰る。
.
寂しいが、学校が始まるので、仕方が無い。
.
さて、数週間前、母親から私の携帯に電話が入った。
用事がある時は大概はメールで連絡してくるのに、この時は電話して来た。
滅多に電話はかけてこない母親からなので、何だ!何だ!と慌てて電話を取った。
.
明らかに興奮しているのが、息づかいから分かった。
いつもより声のトーンが高く、いつもより早口である。
.
何があったんだ!
.
「〇△が、教授になったんだって!凄いね!おとうちゃんが生きてたら喜んだだろうね。誠二も、おめでとうって電話してあげな・・・・・」
〇△とは、兄である。
早速、電話すると、興奮気味な母親とは対照的に、
「ありがとう、でも、まだ正式に決まった訳ではないから・・・・」
といつもと変わらぬ冷静な口調の兄であった。
.
そして、先日、正式に4月から名古屋大学医学部腎臓内科教授に内定したとの連絡が、母親から入った。
.
さて、私は3人兄弟。
長女、長男、次男(私)。
昭和38年、39年、40年生まれの年子である。
.
兄は、小学生の頃から、3人兄弟の中では、学力は抜きん出ていた。
3人兄弟の中では、運動能力も一番あり、あらゆる分野で劣勢であった私。
.
しかし、一つだけ、たった一つだけ、兄と互角に勝負出来る物があった・・・・・・・。
〝将棋” である。
.
私は、将棋が好きで、しょっちゅう友達と将棋をして遊んでいたからだ。
.
そ~~、そ~~、あと一つあった。
小学生の頃、家族で静岡市の街中を歩いていると、曖昧な記憶だが、青葉公園当りで、大声コンテストなるものをやっていたので、兄と参加してみることにした。
何フォーンか器械で計測してくれると言う、良くあるやつだ。
.
私の勝ちであった。
単に、恥じらいも無く、顔を真っ赤にして全力で大声を出したというだけの結果であるが・・・・・・・。
.
ま~~大声コンテストなんて、如何に馬鹿になれるかコンテスト、と言っても過言ではないかも知れない。
.
他は・・・・・・えっ~~っと、無さそうだ。
でも、誰でも、一つや二つ、勝てるものはあるもんだ。
神様も捨てたもんじゃない。
.
話は、だいぶ逸れてしまったが、兄弟って不思議な存在である。
自分の事の様に、心の底から嬉しく、その日一日は、ルンルン気分だったのは事実である。
母親の歓喜には及ばないだろうが・・・・・・・。
.
さて、話は戻し、今晩、次男が帰るので、JR藤枝駅まで、誰が送って行くかとなった時、長男が「俺が行く。」と一番に手を挙げた。
かみさんが一番嬉しそうな顔をしていた。
私も嬉しかった。
.
家族を思う気持ち、兄弟を思う気持ち・・・・・・・・・・・・大事である。
.
兄弟と言えば・・・・・・
丸山塾では、ユー(戸塚先生)はマサ(時森先生)のことをマサ兄さんと呼んでいる。
いや、私が、そう呼ばせている。
血は繋がっていなくても、兄弟関係は成立するのだ。
何かあった時は、全力でバックアップすることを誓っている丸山塾生である。
.
また、また話が逸れてしまったので、また戻す。
.
私も、母親の様に、歓喜する時が来るのだろうか・・・・・・・・・???
息子よ、頼むぞ!
.
無理か??