身に染みる言葉
昨日、オリンピックの追加種目に空手が入ったと言うニュースが入った。
最終決定は来年8月との事だが、ほぼ決定との報道であった。
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嬉しい気持ちと不安な気持ちが入り交じり、複雑な心境である。
18歳から空手を始め、細々ながら続け、今年で33年目に突入した。
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最近は、マラソンやトライアスロンに浮気してしまっているが、本当に好きなのは空手である。
空手は、競技としてではなく、武士道にも通じる空手道の精神が好きなのだ。
空手と言っても、実は多くの流派があり、それぞれに考え方が異なる。
競技として考えた場合、スポーツ空手と武道空手の二つに分かれる。
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オリンピックに採用されれば、空手人口は飛躍的に伸び、空手界に活気が出てくることは間違いないだろう。
空手を志す若者にとっては、オリンピックの舞台は夢の舞台であり、悲願であるから喜ばしい事である。
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しかし、オリンピック種目に決定すると、空手界全体が一気にスポーツ空手に傾く可能性が高く、武道空手愛好家には懸念材料である。
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スポーツ空手が悪いと言っている訳ではない。
簡単に説明すると、我が日本空手協会は、勝者のガッツポーズや握手、抱き合う等の行為は固く禁じられている。
また一本勝負にこだわり、場合によっては、試合開始直後に勝負が決することもある。
秒殺ならぬ瞬殺である。
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卓球でも、1本勝負、つまり1ポイント先取で勝負が決すれば、これまた面白いかも知れない。
大物食い、大番狂わせも出るだろう。
まさに、一球入魂である。
ガチガチに緊張するだろう。
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しかし、オリンピックスポーツともなると、観客も楽しませなければならないし、素人でも分かり易い勝敗の決定方法が要求されるので、ガッツポーズ大歓迎!、勝負も短時間では勝負が決することがない様なルールが採用されるのは必至である。
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はじめからスポーツ空手として頭を切り替えて、観戦すれば面白いかも知れない。
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さて、私は空手の基本は〝巻藁突き” であると考えている。
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日本空手協会技術局作成の講習教材がある。
その24~25ページに、〝巻藁” についての記述がある。
その最初の一部を紹介する。
「巻藁の試練は空手修行の生命であり、日常欠かすことが出来ない。使用部位を鍛え上げるだけでなく、突、打の全身による最大威力を如何に瞬間的に一点に集中爆発させるかの方法を身体でつかむ練習であり、更に自分の有効射程距離を確認するためにも必要なものである。・・・・・・・・・」
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という訳で、3階のトレーニングルームの一角に巻き藁を設置している。
最近、さぼりがちであったが、空手をする以上、巻き藁鍛錬は欠かすことが出来ない。
今日から、毎日、突く様に決めた。
空手の魂であろうか。
入魂である。
一番良くないのは、やったりやらなかったりである。
吉田松陰の言葉である。
反省。
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いつ書いたのかは覚えていないが、この教本の最終ページに、こんな言葉が書かれていた。
才能の差は小さい。
努力の差は大きい。
継続の差はもっと大きい。
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身に染みる言葉だ。