息子へのメッセージ
明日、長男が旅立つ先のパンフレットの文字である。
言葉にするのは、恰好が良く、容易いが、当事者にとっては案外重い言葉である。
本人に今の心境を聞くと、「よし!やってやるぞ!という気持ち7割、結果がでなかったらどうしようという不安な気持ち3割」と言っていた。
正直な気持ちであろう。
私とて同じ気持ちである。
さて、昨晩は、最後に親父として、何かメッセージを渡したいと思った。
私の親父は・・・・・・・・・と回想した。
2人の息子が誕生した約一カ月前に他界した親父の趣味は書道であった。
物心ついた時から、暇があると文字を書いていた。
ハガキが来ると、直ぐにそこらへんにあるボールペンで文字をかき始める。
マッチ箱から、広告、新聞まで、あっと言う間に文字で埋め尽くされてしまう程、文字を書くのが好きな親父であった。
母親からは、大事な物は直ぐにしまわないと、お父さんに字を書かれてしまうよ、と言われるくらいであった。
暫くして、お袋が、遺品の整理を始め、書道用品が欲しければ持って行っていいよと3人の子供に言った。
姉と兄は、興味がなさそうだったので、私が形見としてもらった。
しかし、私の趣味は専ら体を動かすことで、書道とは縁遠い生活を送って来た。
そうだ、親父の形見の書道用品を使ってみよう。
11時過ぎに、屋根裏部屋の段ボールの中にず~~~っと眠っていた親父の形見の硯、筆、墨、・・・・・・を取り出してみた。
非常に綺麗に保管してあった。
几帳面だった親父を思い出した。
書道なんて、小学校の時に習っただけで、死ぬ寸前まで、書道を愛し、書を書き続けていた親父の筆を、私が使って良いものかと思ったが、自分なりに気を込めてすることを誓い、使わせてもらうことにした。
書く文字は決めていたが、中々上手く書けない。
アッと言う間に1時間、2時間が経過。
魂を込めて書いたつもりであるが、書き終わって、少し離れて見ると、心に来る物が何もない。
すなわち、魂が入っていないのだ。
院長室が、半紙の山になって来た。
時計を見ると、2時30分。
約3時間の格闘であった。
全く満足の行く文字ではないが、小学生以来、習ったことも無い今の私には、これくらいが限界であろう。
決して上手な文字ではないが、親父なりに、魂を込めて、気持ちを込めて書いたつもりである。
”勝利の美酒に酔いしれるため 大いに苦しめ”
かみさんからは、私達も、何か願掛けに何かを絶とうかという提案があった。
酒でも絶とうか?
う~~ん、悪いがそれは無理である。
でも、この戦は息子だけの戦ではなく、4人の家族の戦いとして捉えるならば、親父としても何かしなければ・・・・・と思ってはいる。
しかし、言った事は、やらねばならないので、十分吟味しようと思う。
泣きのもう一回。
今年はお預けとなったお花見。
一年後は、晴れ晴れとした気持ちで、花見に興じたい。