第63回富士宮駅伝競走大会
毎年2月の第二日曜日に開催される富士宮駅伝競走大会に、大学の先輩である桑原歯科医院院長の桑原先生に誘って頂いている。
今年も、九州歯科大学の同窓生を中心に2チームが編成され、その仲間に入れて頂いた。
政井先生と、鈴木一先生の弟の鈴木勇さん、そして戸塚先生と一緒の汽車で前泊。
.
.
.
。
勇さんは47歳にして、フルマラソン2時間57分、サブ3を達成。
中年おじさんの星である。
それを祝って、昨晩、ホテルで軽く乾杯!
.
.
富士宮で見る富士山は格別である。
大井川町からは2次元的に見えるが、ここは三次元で見える。
午前8時、今年も、千葉県、愛知県と多岐にわたる地域から、桑原大将を慕う輩が、いつもの場所に集結した。
ここで、桑原総監督から桑原先生がオーダーで作ってくれるTシャツとゼッケンを貰い、1区のランナーには襷が渡される。
全員がTシャツを着た所で、集合写真。
.
.
.
富士宮市役所をスタートし、白糸の滝の所でUターンする上り3区、下り3区の駅伝である。
.
Aチームの花の1区は愛知県からお越しになった酒井先生、Bチームの1区は、ご存じ丸山歯科医院の戸塚悠先生。
酒井先生は防府マラソン(フルマラソン)で2時間30分台を出した健脚の持ち主である。
しかし、御年56歳、その酒井先生の胸を借りるのが、最年少29歳の戸塚先生。
.
戸塚先生から襷を貰う2区は、私である。
.
今回は、過去最多の250チームがエントリーし、完走245チームとなった。
.
桑原歯科Aチームは最年少が47歳、平均年齢54歳、Bチームの平均は46歳である。
ビリになったら解散!を掲げ、おじさんパワーがどこまで通じるか・・・・・・・・・。
.
スタート地点では、箱根駅伝の常連校である東京農業大学応援団がスタンバイ。
.
.
.
.
.
さて、2区を走る250人は8時20分、バス5台に分乗し2区地点に移動。
「10000メートルの記録は?」
「次は何の大会に出る予定?」
「今日は、どのくらいのスピードで走る予定?」
マラソンの話しばかりが聞こえて来る。
.
8時30分頃、2区の中継所に到着。
スタートまで1時間30分ほど時間がある。
こういう時は寝るに限る。
9時30分に携帯のタイマーをかけ、頭からダウンジャケットをかけ、仮眠。
.
.
.
午前10時、1区のランナーがスタートしたというアナウンスが2区の中継所に流れる。
ウォームアップに1キロ程、走り心拍数をあげておく。
トップのランナーが間もなく、到着します、のアナウンス。
.
1区は、上り5.4キロ。
Bチームのゼッケンナンバーである、66番のコールがあり、コーナーから必死の形相で走ってくる戸塚先生の姿が見えた。
強化練習の成果が出て、250人中177位で襷を繋いでくれた。
各チームの精鋭が集まる花の1区での177位は上出来である。
.
2区はアップダウンのある上り5.3キロ。
.
1キロ4分40秒で入り徐々にスピードを上げて行こうと思っていたが、必死で走ってきた戸塚先生の姿を見て、気合のスイッチがONになってしまった。
たかが5.3キロ、最初から行ってまうか!
作戦変更!
.
最初の1キロ通過タイム3分58秒、脈拍176。
すでに、く・く・苦しい。
.
3キロ目のラップは、5分10秒まで下がってしまった。
脈拍は180を超えている。
く・く・く・く・苦しい。
作戦失敗である。
今更、失敗と言っても仕方がない。
頑張って、気合で持ち直すしかない。
.
そこからラスト2.3キロは脈拍は私の年齢ではデインジャラスゾーンの185にまで上がってしまったが、何とか持ち直し平均ラップ4分27秒で3区に襷を渡した。
.
最初にスピードを出し過ぎてへばってしまった。
ゴール直後、息が整ったら、もう一度、走り直しさせて欲しいと思った。
大変、悔やまれるレースとなった。
.
さて、最後はバスでスタート地点に戻って来て、アンカー6区を走る同級生の政井先生の応援である。
.
ラスト1キロ、ラストスパートの最もきつい所で、並走し激励することにした。
(中央のオレンジが政井先生、左の赤ジャンが私である。)
.
.
.
「政井、頑張れ!もう少し!」
「ここからだ!」
「取り敢えず、前の3人抜かそう!」
「行け~~~~~!」
「抜かせ~~~~!」
「まだまだ、いけるぞ~~~!」
.
もう、言いたい放題である。
言うは易し、行うは政井先生。
.
しかし、その声援に応えてくれ、見ていてスキッとする見事なラストスパートを見せてくれた。
.
男同志の裸の付き合い。
これまた格別である。
.
.
湯に浸かって、良い気持ちになった所で、桑原先生御用達のお店で、打ち上げである。
飲んで食べて、至福の時間を過ごした。
.
.
トップから20分経過で繰り上げ一斉スタートのため、総合順位がわかるのは午後4時過ぎである。
それまで、歓談タイム。
.
そんな最中、運命の結果発表の時刻が来た。
あみだくじで、桑原歯科医院副院長青木先生が市役所に成績表を取りにいくことになった。
数分後、青木先生が成績表を持ち、店に戻って来た。
.
宴会の場が、一気に静まり返る。
.
ビリなら、即、解散である。
1位から順に、1ページに10チームの名前と記録が載っている。
245チームが完走したので、25ページの印刷物となっている。
.
見る順番は、当然、最後のページからである。
.
青木先生の口が開く。
「では、結果を発表します。最後のページ・・・・・・・ありません。」
ウヲ~~~~~!
解散回避、歓声が上がる!
.
「では2ページ目・・・・・・・・・・・・、ここにも、ありません。」
ウヲ~~~~~~~~~~~~!
.
「ではでは3ページ目、ありました・・・・・・・・・・。」
.
結果は245チーム中、Aチームが220位、Bチームが225位。
.
大の大人が無邪気に歓喜する、何とも言えず、楽しく幸せなひと時である。
.
この大会で、この年齢で、この成績、上出来ではないだろうか。
.
大将曰く、「成績は、別にど~~でもえ~~んや。年に一度、お互いの健康が確認できるだけで、それだけで十分やないか。」
.
その通りである。
私の様に、早くもないのに、ムキになって走る馬鹿も居れば、桑原先生のように沿道で応援してくれる患者さんを見かけると、握手をしながら、ひと声かけ、また走って、また握手・・・・・・と言った走り方をする選手もいる。
.
別にオリンピック切符が掛かっている訳でもなく、早く走ったところで知れている。
各人が、己の目標を立て、目的を持ち、それに向けて走る。
それでいいのだ。
.
しかし、来年も悠と私は、またムキになって走る姿が目に浮かぶ。
.
それもアリであろう。
.
語弊があるといけないので、付け加えて置く。
桑原先生は、決して手を抜いて走っている訳ではない。
その証拠に、同じ3区を走った桑原歯科医院副院長の青木先生より、良いタイムを叩き出している。
桑原先生は、数年前から通勤に車を止め、雨が降ろうと、雪が降ろうと、徒歩通勤を貫き、日々足腰を鍛えている。
しかも、100キロマラソン(ウルトラマラソン)を2回も完走している、所謂、化け物の類の生き物である。
押さえるべき所は、しっかり押さえているのだ。
.
.
.
.
.
.
私も58歳になった時、桑原先生の様なバイタリティーが残っているだろうか。
.
前泊の宿泊代、駅伝のエントリー代、銭湯代、打ち上げ代、お土産代・・・・・・・・
何から何まで、大将持ちである。
.
男気じゃんけんで勝った訳でもないのに・・・・・・・・・・・・・・・・・。
.
桑原先生、ご馳走様でした。
そして、来年も、悠共々、宜しくお願いします。